■ 薪ストーブとの出会い (佐藤 英二 さん)

はるか昔、子供のころになる。冬の気候が蓼科に近い東北の町の木造家屋での鋼板性薪ストーブ生活であった。障子で仕切られた畳の部屋の真ん中に鎮座し、煙突は壁に穴をあけた部分を通り抜け廊下を通って外に出ていた。
まだテレビが無かった夜は食事を済ませると子供達は早々に床に就いた。翌朝にはストーブの上に置いたやかんの水が凍っていた。薪は生木でストーブの中では切り口からジューと樹液が出ていた。薪は原木(楢材だったと記憶する)2たな(長さ半間の原木を積んで高さ半間、幅1間を2つ)を、アルバイトの郵便屋さんがノコギリで切り、鉞で割ってゆく。切り終わるまで2週間ほどは掛かったと記憶する。これを一冬で燃してしまう。

また当時通っていた小学校ではやはり鋼板製ストーブで、学校に着くとすでに火が入っていてストーブの周りには安全のための金網の柵が設えてある。生徒は着くなり持参した弁当を柵の棚に重ね並べて温めておく。
昼近くになるといろいろなおかずを思わせる美味しそうな匂いが漂ってくる。そして昼食になる。

それから半世紀ほど経って、蓼科にログの家を建てる時オプションだったが無条件で薪ストーブの設置を注文したのが二度目の出会い。ストーブの機能や質を吟味しなかったこともあり10年ほどで傷んでしまい、ストーブハウス原村店で新しい薪ストーブへの取り換えをお願いした。
薪に関しては、ここでまず最初に準備したのは電動の油圧式薪割機。
(鉞で割って作ることの大変さを記憶していた。)
当初は束になった市販の薪を購入して燃していたが、そのうち自分で原木を手に入れ、玉切りにし割ってゆく。

そして約3年間の乾燥、さらにカラマツ材からの割りばしのような焚き付け木の準備等、昔とは大違いである。
現在、薪小屋には約3年分の薪が確保されている。

新しく設置した薪ストーブの本格使用を前に3回の予備過熱を終え、大きなガラス戸から見える炎と薪の燃え具合そして輻射熱の伝わり具合をそれとなく感じ、今冬の本格使用を家族共々今から楽しみにしている。

スタッフからのコメント

薪ストーブユーザーとしても大先輩の佐藤さん。ご縁があって工事に携わる事が出来、感謝しております。着火も上手で、私なんかよりもずっと手際が良いですし、教わる事の方が多そうです。これからも宜しくお願いします。
(望月)